自己紹介:小話第一幕

バイトを見つける⇒アクリル絵具に出会う。
私は京都の美大で版画を専攻していました。在学中に、ふと見た掲示板に「オカリナの絵付けをしてくれる美大生募集」というバイトの案内が載っていたので、早速始めてみることに。美大を受験したくせに、私はこれまでアクリル絵具なんて触ったこともありませんでした。透明感のある水彩絵具のほうを愛していたのです。このバイトを始めたときに、オカリナの絵付け用の絵具として「ターナーアクリルガッシュ」を指定され、「いきなり苦手なのキタ!」と、鬱々たる思いで買いに行ったのを覚えています。最初はどうやって水に溶くかもよく分からず、めちゃめちゃな配合で四苦八苦していました。

オカリナに絵を描き始める⇒たまたま好きな植物から。
その会社に指定されて描いたのは、高山植物の「コマクサ」でした。山登りする人たちへのお土産用として山小屋で売るためです。はじめてお題が私の好きな高山植物だったのは幸いでした。田賀は登山が好きで、ドジして足を捻挫するまではずっと山に登っていました。コクマサは厳しい高山の環境でもピンク色のかわいい花をうつむきがちに咲かせます。名前は馬の顔にシルエットが似ていることから由来するそうですが、霧の中で群生する様を初めてみたときの印象は「ピンクの帽子を被った小人さん」でした。好きな植物を描けるなんて幸せ〜と、気分はすでに絵付け師でした。

オカリナは各地にお嫁に行きました。
最初に描いたオカリナはなかなか好評だったそうです。その後は、山小屋用の黒百合、リンドウなどの高山植物、ハウステンボス土産用のチューリップ、沖縄土産用の天体と南の島、春のパンジー、スミレ、クリスマス用のリース、京都土産のふくろう等、週に20個の割合でオカリナを描き続けていました。1個描くと500円でした。住んでいたのは修学院の近くでしたが、ふうふういって金閣寺の近くまで自転車を漕ぎ、会社に納品し、帰りに新しいオカリナをリュックに入れて持って帰ってくるということを繰り返しました。

ある日友達が。
「ねえ、いつもオカリナに描いているその絵、爪に描いてくれる?」といったのがそもそもの始まりでした。ネイルアートのことはこのとき初めて知りました。学生最後の大学祭のときに一度だけ小さなデスクに座って店開きしました。6色くらいのネイルカラーと10色くらいのアクリル絵具を並べ「ネイルアートします〜」と…。一応資料を取り寄せたりしてネイルのことは勉強したつもり。しかし学生に「フレンチにしてください」といわれて何のことだか分からず、ぽかんとしてしまい…。そんなわけであまり人は来ませんでした。デスクライトもなかったので、日暮れとともに閉店しました。.

イギリスに留学⇒ネイルサロンにバイトに入る。
ネイルのことはすっかり忘れて、大学卒業後はイギリスに留学。教育資格と学芸員資格の講義を取っていたら面白くなってしまい、もう少し勉強したくなったというのが目的。最初は純粋に勉学にいそしんでいました。ネイルアートのことをふと思い出したのは、たまたま入ったお店でいろとりどりのネイルカラーを見つけたとき。英語に飢えていた私は「ネイルアートができると分かったら、だれか話しかけてくれないかしら」と単純に考えて、早速3色ほど買い込みました。ホストファミリーは私の爪のアートを見て「こんなの見たことない」と感激してくれました。早速近所のお姉さんやお友達を紹介してくれたのです。1週間後には、近所のお姉さんがよく行くネイルサロンを紹介され、1週間に1度、土曜日にネイルアートのみのアルバイトをすることになりました。

ネイルサロンで特訓。
最初はまるで役立たずだった私を、サロンのオーナーとスタッフは温かい目で見守ってくれました。ハンドペイントのネイルアートなんて、今までそのサロンでする人もいなくて誰も知らない上に、田賀のネイルの基礎知識は皆無に等しかったので、最初はお客様をすることもありませんでした。1日5ポンド(1000円くらい)もらって、あちこちお掃除をしたり、お茶碗を洗ったり、お茶汲みしたり。英語の勉強になるからまあいいや、と。ネイルのレッスンも先輩に教えてもらって後は自分で自宅練習していました。しかしのんびりは長く続かず、入って4回目くらいからアートのお客様が増え、ネイルのお客様も増えてきました。このサロン、扱うネイルシステムが数多く、マニキュア、ペディキュアはいうに及ばず、アクリルパウダー、シルクラップエクステンション、ファイバーグラスエクステンション、その他エクステンションシステムが2種類、ジェルの種類も私が覚えているだけで6種類と豊富でした。スタッフは入店とともに片っ端からそれらを特訓してお客様をこなしていきます。私も毎晩大学の勉強が終わった後、夜中1時くらいから、自分の爪にエクステンションを1セット、カラーリングを最低5セットしてから寝ていました。上手に、しかも早くできるようにならないと、犠牲になるのは自分の睡眠時間です。ネイルサロンで働き出してからの2ヶ月はそんなわけで、ちょっとハードでした…。そして爪はボロボロに…。

救世主だったカルジェル。
ヨーロッパはジェル王国。いろんなジェルを試した我が老舗ネイルサロンは、終に1つのジェルにたどり着きました。それがカルジェルです。私達のサロンが、いままでのシステムを全て打ち切って、ヨーロッパで最初のカルジェル専門サロンとなった3カ月後には、今まで常連だったお客様の喜びの声がサロンを包むようになりました。匂わない、爪に優しい、カラーが剥げない、使い方がシンプルな上、講習システムも最初についているので(講習を受けてからじゃないと買えないんですが)、スタッフの教育を任される、という画期的なジェルは、そのうち、ヨーロッパ全土に広がっていきます。私は、まず覚える商品の数が少ないということ(ジェル以外の主要商品たった4品)、使い方がとてもシンプルということ(クリア1つでベースにもトップにもスカルプにもチップにも使える)、ジェルなので引っ掛ける心配がないということ、そして何よりも溶液で落ちるので削らなくていい(その間にご飯が食べれるー!)ということの4点に惹かれました。「ハー、爪が痛まないのねー。」ということは、しばらくしてからやっと気付きました。

いつのまにか古株。
完全歩合制のサロンは、完全実力主義。そんなわけで、たくさんの人がサロンを去っていきました。私も数多くの失敗をしつつ、それでもなんとか頑張って、気づいたら店で2番目の古株になっていましあt。新しい商品を偏見なく取りいれサロンをどんどん盛り上げるオーナー、一番古株のベテランネイリスト、生き残った職人肌のネイリスト達、そして様々なお客様に囲まれたサロンワークはとても楽しかったです。スタッフとは店が終わったあと食べたり飲んだりしながら、夜遅くまで練習したり、話したり…。入って1年目には、私は月曜日から金曜日は大学、木曜日&金曜日の夕方以降と土曜日1日はサロン、日曜日はカルジェの講習と、けっこう忙しく過ごしていましたた。

コンペティションに出たり。
実力主義のサロンからは、入賞するかどうか分からないのにコンペ用の経費が出たりしません。お給料全部を大学での製作費や研究費に当てていた頃は、コンペに出るのは金銭的な面で決死の覚悟でした。往復の自分とモデルの交通費、製作費、出場日、ご飯代など、万が一優勝して賞金を貰ってもぜんぜん足りません。それでも「ナショナル・ネイルアート・コンペティション」という全国大会があるので、ちょうど大学もお休みだし、出てみようと思い立ちました。モデルには大学の友人を引っ張り、夜行バスでロンドンに行き、緊張しながら会場入りしました。アート部門はモデルに衣装を着せるのは知りませんでした。他の部門と同じように黒のTシャツだと思ったら、みんな衣装を着けているのですごく心細くなり、コンペ前なのに「帰ろうかな〜」と思ったことを覚えています。イギリスでのコンペには計3回優勝しました。トロフィーは重いし、賞状はなくすし、結局日本には全部持って帰ってきませんでしたが、このことはその後5年くらいたって「今までの入賞歴でゲットしたトロフィー等を雑誌に掲載する」という企画を日本で頂戴した時に、はじめて後悔することになります。そのときはそのときで頑張った、という証明をきちんと持って帰ればよかったと…。

それから色々あって…。
今は日本でカルジェルを広めるお仕事をすることに。少しずつ書いていくので、ご興味がある方はまたいつかこのページを覗いてみてくださいね。

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last update 2007.5.10